中学に入ったら、大好きな野球部に入るつもりでいました。ところが、母から「野球部は練習きびしいからやめろ」と言われてしまいました。
幼稚園まで、わたしは、食が細くよく医者にかかっていました。また、小学6年のときの野球の試合で、へばっているわたしの姿を見て、母は、心配して言ってくれたんだなぁと、今は思います。
当時のわたしは、やりたいけど、しょうがいない。親のいうことは、聞くもんだと思い、仕方なく、卓球部に入りました。
高校は、父のすすめで地元の工業高校に進学しました。
その高校の陸上部の顧問の先生は、短距離の日本記録保持者でした。一流の世界を味わいたい、一流の中に入って自分も極みを目指してみたい、そんな強い思いで、陸上部に入りました。
部活だけは、自分の意思で、陸上部を選びました。それまで、親がすすめる通り生きてきましたが、初めて自分の意志で選択しました。
入部してすぐに打ちひしがれました。ほかの人とのレベルがちがいすぎたのです。最初は、努力すればなんとかなると思っていたのです。努力ではなんともならないことを、目の当たりにしました。
それでも、1年秋の新人戦。200M準決勝まで進みました。このチャンスをものにしたい!という思いでした。せっかくの準決勝だから、先輩からもらったスパイクで走ったのです。
ところが、走っている最中に脱げそうになる、変な走りになってしまいました。
走り終わった途端、「自分の走りできなかったやぁ!」という大声をあげました。もっと行けたのに、というもどかしさと、やってしまった!という悔しさ。
2年では思うような走りもできないまんま。3年の夏に高校総体も終わり、「もう走っている場合じゃないぞ」と思い、父の仕事を手伝いました。家の仕事を手伝うのが当たり前、と小さいときから思っていたのです。
「杉板・松板は、お金になる。ただ板だけでは(ただいるだけでは)、お金にならないんだ」と、父がよく言ってました。
わたしは、大学で勉強したい気持ちはありましたが、高校を出たら働こうと思っていました。
ところが、父が「行けるんなら、大学行け」と言ってくれたのです。まさか行けると思わなかったので、「大学に行けるんだ」と思うとうれしくなりました。父は進学したかったけど行けなかったのです。自分の経験からわたしに大学進学をすすめてくれた父に感謝しました。
大学を卒業するとき、考えたこと。将来、長男なので親の面倒を見るために、近くにいよう。いずれは、父の仕事を継ぐんだろうな。でも、一度はよその飯を食べないとわからないので、実家の近くの会社に就職しようということでした。
本音のところは、父の仕事っぷりを見ていて、「仕事取ってくるの、大変そうだなぁ」と感じていました。結局、実家近くの会社に就職しました。
25歳のときに、小学6年のときの目標、一級建築士に合格。母から会社に「受かったよ」という電話がありました。「やった!これで結婚できるな」と思いました。翌年、次の目標だった結婚をしました。
入社したときから、「実家の工務店があるから、どうせすぐやめるんだろう」と会社の人には思われていました。それでも、与えられた部署で、ほかの人以上の仕事をしました。
その甲斐あって、会社にロボットを導入する一大イベント「10億円プロジェクト」のメンバーに選ばれました。会社の中だけでなく、ロボットを製造する名だたる大手企業の人とも一緒に仕事をするようになりました。
大手企業の優秀な方と一緒に仕事をすることで、非常に刺激になりました。その過程で、時間をかけて撮影した会社案内のPRビデオを編集する作業がとても面白かったです。「これが、サラリーマンの仕事のだいご味だなぁ」
ところが、10億円プロジェクトが終わると、急に会社の中の仕事がつまらなくなっていきました。カミさんに「会社をやめる」「やめる」とずっと言っていました。
カミさんは「やめてどうするの?」と言うので、「家の仕事をする」と答えました。
入社13年目、工事管理部門に配属されていたときのことです。
営業の人からいきなり電話がかかってきました。「いま、発注先から電話が入っているので、とにかく、このように答えてくれ」という話でした。わたしは、反論する余裕もなかったので、営業から言われた通りの回答をしました。
わたしは一級建築士の資格を持っているので、現場監理の責任者として登録されていたのです。その責任者として、発注先に回答させられたのです。
発注先に回答した内容は、現実とは異なる、うそでした。さらに、その尻ぬぐいをさせられたのです。
電話が終わると、わたしは、上司に怒りを込めて言いました。「冗談じゃないよ!こんなアホなこと、やってらんないよ。もう、やってられません」
みんなに聞こえるような声だったため、上司も負けじと、周りに聞こえるように言いました。「山家くん、会社やめるってよ」
営業の尻ぬぐいと上司の言葉に、「もう、ここまでだ」と思いました。2ケ月後、わたしは、会社を辞めました。
今思うと、上司に「やる気がないな」と見透かされていたのかもしれません。